お茶の時間

svelandski2018-05-28

月 旧暦 4 月 14 日 大安 庚申 六白金星 Ingeborg Borghild V22 25310 日目

どの地に住んでも、割と近くに行き来できる友達があるのは大事と思ふ。あまり言葉を交はさぬ近所付き合ひでも、長く住めば、その人となりがお互ひにそれとなくわかるものである。都会に住めば近所付き合ひも無いのかもしれないけれども、僕らの住む建物は横に長くて世帯ごとに玄関も別々なので、誰か外出したりすると、その様子が窓から見えてしまふ。防犯上はその方が安全な気がする。外国に来てしまふと、言葉に不自由な僕などはどうしても心を閉ざしがちになるのだが、同居人に導かれる様に人に会ふことが多い。友達、と言って良いかどうか、年齢的にも自分たちより少し目上であるので、友達と呼ぶには失礼にあたる気がする、そんなご夫婦に、僕が日本から帰って来てまだ連絡してなかったので、ちょっと電話してみたら、お茶にいらっしゃいといふことになって、同居人と行った。僕らがこの町に住み始めた頃は近所であったが、10 年以上前に町の北の方の郊外に引っ越されて、それから最近になって、今度は町の中心部に近いアパートに再度引っ越された。引っ越したばかりでも、家をとても綺麗にされるので、そんなやり方から生き方のヒントをいただく。でも、真似をしたくてもあんな風に綺麗にはとてもできない。住む家を綺麗にして生きるのは、それだけ人生の価値が上がる気がする。