マニフェスト・デスティニーといふ言葉

svelandski2018-07-01

日 旧暦 5 月 18 日 仏滅 甲午 六白金星 Aron Mirjam V26 25344 日目

マニフェスト・デスティニーといふ言葉がある。1840 年代にアメリカ合衆国が西へ西へと開拓を進めた、その行為を正当化するためのスローガンとして使はれた言葉である。本当は自分たちの利己でやったことなのだが、それを神の意志による当然の運命なのだとみなす強引さがこの言葉にはある。開拓といふ行為が、どこまで止むに止まれぬ事情によったかは疑はしい。ではあるけれども、うんと逆説的に言へば、その様なスローガンを掲げる胸のうちには、本当は自分たちのやってゐることは悪いことであるといふ、原罪の意識がちらついてゐる気もする。人間は、普段自分では気づかないけれども、何か悪いことをしなければこの世で生きて行かれないのかもしれない。それで、原罪といふ意識が芽生えるのだと思ふ。日本人も先住のアイヌ民族を北へ北へと追ひやって近代国家に至った経緯がある。その過程には残虐な行為もあったらうと思ふ。その様な歴史について、現代の僕たちが原罪の意識も持たずに平然としてゐては、道を間違へると思ふ。原罪など、あまり容易に口にすべきではない気もするが、現代にあって難民問題とどう向き合ふかを考へるときも無縁ではないのではあるまいか。