情報の出処

svelandski2018-08-09

木 旧暦 6 月 28 日 先負 癸酉 三碧木星 Roland V32 25383 日目

今日は長崎の日。日本がもう少し早くポツダム宣言を受託してゐたなら悲劇はもう少し抑へられてゐたかもしれないと繰り返し思ふ。当時、スウェーデン公使館附武官であった小野寺少将は、「ソ連が日ソ中立条約を破り対日参戦する」との情報を日本に送ったが、当時の日本軍はそれを信じなかった。人間は悪い方向に事態が進む場合を想像して見る事ができないものであるらしい。それでも、その情報がどこから発せられたかを調べれば「これは無視できないぞ」といふ判断がつくものと思ふのだが、当時の日本軍は疑って見ることをしなかった。入って来る情報にはフェイクニュースもあるだらうが、情報のタイトルや内容よりも、その情報の発信人が誰であるかといふ事の方が情報として重要な場合がある。受信した情報の処理能力においても日本は程度が低かったと言はざるを得ない。結果的に多くの無辜が犠牲になってしまった。天皇ポツダム宣言を受諾するといふ大詔をラジオ放送を通じて発表されたのは約1週間後のことであった。