グローバル化の時代

svelandski2018-08-24

金 旧暦 7 月 14 日 友引 戊子 六白金星 Bartolomeus V34 25398 日目

終戦直後の日本では概して皆が貧しかった。食糧難で闇市が公然と行はれた。法律を守って闇市を利用せず、ついに餓死した立派な裁判官も居たが、大抵の人たちは生きるために闇市を利用した。貧しい人たちの間にはお互ひに協力し合ふ雰囲気もあったと思ふ。生活が豊かになるにつれて、はじめのうちこそ皆が歩調を合はせる様に所得が伸びたが、次第にその差が大きくなった。今では格差が大きくなりすぎて大きな社会問題になってゐる。誰も自分のことで精一杯で周囲に目を向けない。でも大災害が起きると、その現場では助け合ひの精神が戻って来る様に感じられる。世界の国々の中には、この災害後の現場に似た状況が定常的に続く国があるんだと思ふ。その様な国では多分政府に頼ったりできないので、自分たちで生きる糧を見つけるしかない。僕らから見たら犯罪としか思はれない行為でもやってしまふことがありうる。今はどうか知らないが、ソマリア沖の海賊出没が騒がれた時も背景にはこれに近い状況があったのではないかと思ふ。そんな国では少しでもお金のある人は他の人に施すことが当然の価値観の社会になる。豊かな国の船舶を略奪したとて罪悪感はないかもしれない。グローバル化が進めば、色々な国の人たちと接する機会が増える。知らない人に接する時は自分の育った環境とは全く違ふ価値観で育った人である可能性があることをチラッと思って見ることも大事かなと思ふ。価値観の違ひは日本人同士の間にもよくあると思ふが、小さな違ひに過剰に反応してゐてはより大きな違ひに遭遇した時、対処できなくなると思ふ。

拡張と収縮

svelandski2018-08-23

木 旧暦 7 月 13 日 先勝 丁亥 七赤金星 処暑 Signe Signhild V34 25397 日目

戦後の日本は焼け野原から出発し、人々は貧困から這ひ上がった。そんな子供時代を過ごした僕らには外国とは本当に遠いところであった。1ドル360円とか固定されてゐて、外国へ行くにも大変なお金がかかる時代であった。ところが大正時代とか昭和初期の頃までの日本人は、航空機が未発達であったにも拘はず、予想以上に外国へ出てゐた様に見受けられる。もちろん限られた人たちではあったのだらうが、それでも僕らが子供時代に感じたほどには外国は遠くなかった時代があったのではないかと言ふ気がする。人が外国へ出て行く時期を拡張期と呼び、出ていかない時期を収縮期と呼ぶなら、明治時代に近代国家として出発した日本は一様に拡張したのではなくて収縮期があった。拡張期とは即ちグローバル化の時代であるとも言へる。嘉永6年に黒船が開国を求めて日本にやって来た時、日本人の様子を観察したペリー提督は、「この国に開国を迫ることは本当にこの国のためになることだらうか」と個人的な感慨を持ったことを何かの本で読んだ記憶があるが、その感慨は今尚、グローバル化の是非を問ふ課題でもある。昨今の世界各地に見られるポピュリズム民族主義の台頭もまた、拡張一方であってはいけないと言ふある種のバランス感覚の発露であるかもしれない。

Kullbergska sjukhuset

svelandski2018-08-22

水 旧暦 7 月 12 日 赤口 丙戌 八白土星 Henrietta Henrika V34 25396 日目

僕の住む Södermanland 県には、日本風に言へば「県立病院」が3都市にある。Katrineholm, Eskilstuna, Nyköping の3都市。実際はこの他に Regionssjukhuset があり、それを入れると4病院になる。病院のことを sjukhus と言ったり、Lasarett と言ったりする。sjukhus の方が規模が大きいのかもしれない。僕は Nyköping 市民なので最寄りの Nyköpings Lasarett にだけ行けば良いかといふとさうではなくて、検査の種類によって行く病院が決まる。それも日本の様に外来受付窓口があるわけではないので、病院で診てもらふ必要ありと認められた人のみに郵便が届いて、検査に行くべき日時が指定される。僕は今日、その郵便を持って Katrineholm の病院まで行って来た。検査と言っても超音波でお腹を探られるだけのものであった。日本ではちょっとした病院であればその程度の設備を有してゐるが、ともかくその検査を受けるために行って来た。ちょっとした田舎道のドライブであるので、同居人も一緒について来た。やや遠足気分である。運転は僕がするが、同居人には地図を見てもらふ。ナビゲーターがあるから、どう行けば良いかはわかるのだが、補助席に座って今どの辺を走ってゐるか地図上で確認できるかどうかが、コンピューターを使はない脳トレのひとつである。病院に入ると、階段の踊り場などには大きな絵がかけられてゐてさながら美術館の様でもある。待合室でも人は殆どゐなかった。無人の受付では患者が到着したことを大きなモニターに入力するだけである。お帰りの会計窓口も処方箋窓口もない。後日郵便で請求書が届くのでネットで支払ひするのである。薬が必要な場合は薬局へ行って身分証明書を見せるだけで必要な薬が出る。徹底した合理化である。検査の正味時間は30分程度であったが、かれこれ半日以上を費やして、今日の行事は無事終了した。

小学校の漢字の時間

svelandski2018-08-21

火 旧暦 7 月 11 日 大安 乙酉 九紫火星 Jon Jonna V34 25395 日目

記憶違ひかもしれないのだが、小学校時代に漢字を書く練習をするためだけの授業があった様な気がする。小学校の3年生頃のことだが、その授業でいくつかの漢字を教はった。習った字をノートに書いて、そのノートを持って順番に先生に見てもらって自分の席に戻るといふスタイルであった。その日は「鳴く」といふ字を教はった。先生に見せに行くと、先生は「君の字は口へんと鳥が離れすぎてゐるから、こちらに鳥がゐるのにどこか遠くから囀りが聞こえる様な字だよ」と言はれた。僕は「なるほど」と納得して、その時初めてバランス良い漢字の形について注意する気持ちを持ったのを覚えてゐる。あの授業は良かったなとあとあとになっても思った。今の小学校でもあそこまで丁寧に漢字の書き方の指導をしてくれるのかなとふと思ふ。タブレットなどを使った授業も大事なのかもしれない。答案は全てキーボードで書く時代であるかもしれないが、自分の手で文字を書いてみる練習はとても大事ではないかなと思ふ。

漢字の書き順

svelandski2018-08-20

月 旧暦 7 月 10 日 仏滅 甲申 一白水星 Bernhard Bernt V34 25394 日目

この頃、紙に鉛筆で字を写し取ることを時々やるのだが、書き順が分からない。日本人を始めてもうかれこれ 70 年近く経つが、漢字が書けない。書き順は小学生の時に習った筈だが、綺麗に忘れた。出来上がった形が合ってゐれば、人はその文字をどんな順序で書いたかなど、後から見ても分からないのだから、書き順は覚えなくても良いやと、ずっと思ってた。だが、やはり書き順は大事だと、この頃、自分で紙に書いてみて思ふ様になった。物事は全て、最後の出来上がりの形より、その過程にある順番こそが大事だと思ふからだ。簡単な字でも書き順を間違えて覚えてしまった例をいくつかあげると、「上」(短い横棒は添へる様に書かれるので縦棒から書き始めなければならない)、「右」(払ひを書いてから横棒を書くのでその横棒は長めになる)、「有」(これも払ひを先に書く)、同じアルでも「在」は横棒から書き始める。「飛」は右上のちょんちょんを縦棒を書く前に書かないといけない。「虎」のとらかんむりはてっぺんの二画の後に払ひを書いてから長い横棒を書いて先をはねる。(「麻」のまだれは払ひが後)。「病」のやまいだれのちょんちょんは先にまだれを書いた後につける。これらの他に難しい字の例としては「齋」や「鬱」などなかなか難しい。以上、全て間違へて覚えてゐる書き順をこれから少しづつ直していくことが僕の老後のささやかな務めである。

欲望の地平線

svelandski2018-08-19

日 旧暦 7 月 9 日 先負 癸未 二黒土星 Magnus Måns V33 25393 日目

「いでや、この世に生まれては、願はしかるべきことこそ多かめれ」昭和の時代には、僕の身の回りには、例へば松下幸之助を崇拝する人も多かった。何と言っても一代であれだけの事業を興したことへの驚きと尊敬があったのだと思ふ。でも、今は、GAFA創始者たちを見ても分かる様に、それを遥かに凌駕する規模とスピードで事業を伸ばした人たちがたくさん居る。その一方で、昔のやり方で会社を支へて来た日本の人たちは不祥事を起こしたり、会社が売られたり、どことなく自信を無くしてゐる様に見える。それで、若い人の中は、自分もまた外国のリーダーたちの様に大金持ちになれるチャンスがあるのではないかと、新しい方面に向かって走る人が出て来ても不思議はない。だが、何か危なっかしい気もする。人間が失敗するのは欲に目が眩む時である。無難な道を行かうとすれば、欲を抑へなければならないし、欲を抑へ過ぎれば自分のやるべきことが分からなくなる。どの辺の欲望で自分の人生をバランスさせるべきかはかなり難しい問題であると思ふ。年をとれば欲望は小さくなって行くかといふとさうでもない。健康でなるべく長生きしたい欲望は年々歳々強まる様な気さへする。一つだけ思ふことは、周囲の状況から自分のバランス点を推測してはいけないことである。「あいつがあそこまでやって許されるなら、俺はここまでやって良いな」みたいな考へ方をすると間違へるのだ。人は法の下には平等だが、生まれながらに不平等である。自分に許される欲望の地平線は人それぞれにその人だけの固有の広がりを持つ。自分の欲望の地平線はどこにあるのか、今のままで良いのか、僕は今でも分からない。毎日自分に問ひかけなければ答へは出ないと思ふ。

行く夏や プールに落つる 雲の影

svelandski2018-08-18

土 旧暦 7 月 8 日 友引 壬午 三碧木星 上弦 Ellen Lena V33 25392 日目

プールへは毎日行くことを一応の目標にしてゐるのだが、元気が出ない日もあって、この頃は三日に一度くらいまで後退した。平日は朝6時から開いてゐるから、本当は5時半に家を出て、朝一番にその日課をすませてしまふのが良いのだが、とてもそんな元気が出ない。お昼頃になって、漸く元気が出た時だけ行くことにする。もし毎日行けば、例へばお通じが規則正しくなるとか、はっきり自覚できる健康上の効果もあるので、できるだけ毎日行きたいのだが、でも、あまり無理せずに休みたい日には休む様にしてゐる。毎朝の時間は大抵コンピューターと向き合ってゐるだけで時間がすぎてしまふ。そのうち元気が出てくれば自転車でプールに行く。自転車で往復するだけでも1時間かかるのでこれも一つのハードルではある。この夏も終はりに差し掛かり、学校も始まる季節である。屋外プールもやがて閉ざされることだらう。それを思って今日も行くことができた。昨日まとまった雨が降ったせいか、いつもより水量が多いと感じた。シャワー室などは混んでゐたが、50 m プールのレーンをずっと一人だけで泳ぐことができて気持ちよかった。